大陸の大らかさ+ヨーロッパ風建物=ウラジオストク
ウラジオストクは比較的こぢんまりとした街だ。郊外まで足を延ばさないのであれば、2日もあれば十分に回れてしまう。街の中心はウラジオストク駅の北側に広がるエリア。東西に伸びるスヴェトランスカヤ通りやアドミラーラ・フォーキラー通り(噴水通り)のあたりが、最も賑わっているところ。
スヴェトランスカヤ通りは街のメインストリート。壮麗なロシア建築の建物が並び、美しい街並みを形成している。道路の幅は広く、いかにも大陸らしい雰囲気だが、美しい建物のおかげでヨーロッパ的な佇まいも感じられる。大らかさとヨーロッパらしい繊細さがミックスされたところがウラジオストクの魅力だと思う。
謎の教会がある中央広場
スヴェトランスカヤ通りの起点?に位置しているのが中央広場。ウラジオストク駅のちょうど北に位置している。かなり大きな広場で正式名称は革命戦士広場といい、中央には戦士の像もある。
なんの変哲もない広場ではあるが、広場に面して黄金のタマネギ形ドームを持つ壮麗な建物がある。ドームの上には八端十字架が掲げられているので、まぎれもないロシア正教会。外壁に足場が組まれていて、内部には入れない。
非常に立派かつ目立つ建物なのだが、ガイドブックを見てもこの教会に関する記述がない。ということは、もしや建設途中なのか? それほど新しい建物のようには見えないのだが、不思議だ。謎の教会である。
なお、この広場の片隅に土産物屋があるのだが、ここはかなり広く品揃えも充実している。大きなマトリョーシカの顔ハメ看板が目印。チェックのリボンの首輪をした看板猫もいて、和める。
デパートとしてはいかがなものか?のグム百貨店
スヴェトランスカヤ通り沿いで威容を誇る建物の中で有名なのはグム百貨店だ。なんだかかわいらしい響きの名前だけれど、ロシア語で国営百貨店という意味だそう。建物は1865年の建造。ドイツの貿易会社が建てたもので、19世紀末にアールヌーヴォー様式に改築。2017年にリニューアルされて、現在の形になった。
優美な佇まいはスヴェトランスカヤ通りのランドマークといってもいいが、さて内部は……。1階にはZARAがあり、そこそこ混んでいるようだが、上階は閑散としている。ショップもなんだかしょぼい。せっかく素敵な建物なのだから、土産物店などを入れて観光の拠点にしたらいいのにもったいないなあ。
流行の発進地? 裏原ならぬグム裏
グム百貨店は外から眺めてその美しさを堪能すればよし。というわけで、裏側に回ってみることにする。グム百貨店の裏はグム裏とよばれるおしゃれエリアとして、地元の若者や観光客に人気があるのだ。
グム百貨店の裏にはもともとレンガ倉庫などがあり、2017年のリニューアルに合わせておしゃれなレストランやショップが入居するようになったとのこと。いまどきの壁画などもあしらわれ、インスタ映えもばっちり。観光客に人気があるのもうなずける。
ただ、いまいち面白みに欠ける面があるのは否めない。最初は自然発生的なおしゃれエリアだったのかもしれないが、いまは整備され過ぎている感もあり、こぢんまりとした再開発エリアといった趣だった。
ウラジオストクで一番好き!なニコライ2世凱旋門
グム百貨店を通りすぎ、スヴェトランスカヤ通りをずんずんと進んでいくと、右手前方にちらちらと華やかな建物が目に入ってくる。これがニコライ2世凱旋門だ。
写真などで見ていて素敵な建造物だなあと思って楽しみにしていたのだが、意外にもこぢんまり。パリの凱旋門のように通りをまたいでいるものかと思ったら、公園内にあった。だが、建築の素晴らしさは想像通り。ピンクとブルーの格子模様のような屋根がなんとも愛らしい。いかめしさや荘厳さはあまりなく、かわいらしい雰囲気がする門だ。
この門はその名の通り、ロマノフ朝最後の皇帝で激動の人生を送ったニコライ2世に関係するもの。彼がまだ皇太子だった1891年にウラジオストクを訪れたのを記念して建てられた。だが、ロシア革命によって帝政が崩壊し、ニコライ2世も退位。当然のことながら、凱旋門も破壊されてしまったという。現在の門は2003年に復元されたもの。だから、門の風情に重みが感じられないのは仕方ない。でも、好き。
日本人を猿と呼んで毛嫌いしたニコライ2世の話
ここで少しニコライ2世のお話。19世紀後半から20世紀初頭、世界が大きく変わっていくただ中を生きたニコライ2世は、日本との因縁が浅からぬものがある。まだ皇太子だった1890〜91年にかけて、彼は見聞を広めるためにヨーロッパからアジアを巡る視察旅行に出掛けており、その際には日本にも立ち寄った。このときに起こったのが大津事件。ニコライ2世が琵琶湖遊覧に訪れた滋賀で、現地の警察官に切りつけられた。
この事件によってニコライ2世はケガを負い、その後遺症に生涯苦しめられたという。ニコライ2世はもともと日本に親しみを抱いていたというが(日本での滞在中に右腕に龍の入れ墨を入れたほど)、この事件により日本が大嫌いとなり、日本人を「猿」と呼んでさげすむようになったとか。日露戦争の遠因としてニコライ2世の日本嫌いをあげる説もあるという。まあ、殺されそうになったんだから、日本嫌いになるのも無理はないけれどね。
さて、大津事件の後、ニコライ2世は予定を切り上げて帰国。といっても、当時の都サンクトペテルブルクではなく、ウラジオストクに寄ることに。というのも、シベリア鉄道のウラジオストク駅の起工式に参加する予定があったから。ニコライ2世としては早く帰りたかったかもしれないが、この長期にわたる視察旅行の本来の目的はこの起工式だったので、これは仕方のないところか。
↓ウラジオストク駅についてはこちらの記事をチェック!
その後、日露戦争やら第一次世界大戦やらがあり、ロシア革命が勃発。ニコライ2世は1917年に退位を余儀なくされ、ここに300年続いたロマノフ朝は終焉を迎える。退位後は監禁生活を強いられ、2018年にエカテリンブルクで家族ともども処刑された。処刑の命令を下したのはレーニンだった。
ソ連時代は彼らの処刑は英雄的行為として肯定されていたが、ソ連崩壊後、2000年にはロシア革命の犠牲者としてロシア正教会によって列聖されている。また、2008年にはロシアの最高裁でも名誉回復の決定が下されている。
なお、ニコライ2世の家族は、怪僧ラスプーチンとの関係が噂されるアレクサンドラ皇后やら、長い間生存説がささやかれていた皇女アナスタシアなど、濃い話がいっぱいあるので、興味のある人は調べてみると面白い。
ニコライ2世凱旋門の隣にある小さなアンドレイ教会
ニコライ2世凱旋門の隣にはかわいらしい教会もある。内部の見学も可能。だが、ハバロフスクに比べると、ウラジオストクは異教徒の教会見学に厳しい感じがする。
ハバロフスクでは、教会内を歩き回ってイコンを近くで見学しても特に何も言われなかったが、ウラジオストクではイコンなどに近寄ろうものなら、売店?のおばさんに「シッ」という感じで追い払われてしまう。それだけ宗教を大切にしているということなのだと思うのだけれど、あまり気持ちの良いものではないわな。
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